「OKY」はなぜ生まれるのか
― 本社と現地のすれ違いを、経営の言葉で解きほぐす
海外事業に関わった経験のある方であれば、
酒席や非公式な場で、
こんな言葉を耳にしたことがあるかもしれません。
「OKY(お前が来て、やってみろ)」
現地の事情を十分に理解しないまま、
本社から次々と指示や要望が下りてくる。
そのもどかしさや苛立ちを、
半ば自嘲気味に表現した言葉です。
OKYは「反抗」ではなく「悲鳴」に近い
OKYという言葉は、
しばしば現地の反発や反抗心として受け取られがちです。
しかし、実際には、
それほど単純な感情ではありません。
- 現地の制約を説明しても伝わらない
- 本社の期待と現実のギャップが埋まらない
- 判断の責任だけが現地に残る
こうした状況が積み重なった末に、
言葉として噴き出してくるものです。
OKYは、
「分かってほしい」という気持ちが、
うまく言語化できなかった結果とも言えます。
本社にいると、見えなくなるものがある
本社から見る海外事業は、
どうしても「数字」と「報告資料」が中心になります。
一方、現地では、
- 人が足りない
- 判断に使える情報が限られている
- 文化や慣習が意思決定に影響する
といった現実の中で、
日々、細かな判断を積み重ねています。
この距離感を埋めないまま、
正論だけが行き交うと、
現場は疲弊していきます。
「行ってみる」ことがもたらすもの
私自身、
海外拠点のマネジメントに関わる中で、
可能な限り現地に足を運ぶことを意識していました。
ローカルの責任者だけでなく、
部長クラス、マネージャークラスとも話し、
現場の空気や制約を直接感じ取る。
オンライン会議では分からないことが、
現地には数多くあります。
- 会議の進み方
- 意思決定のスピード
- 誰の一言が場を動かすのか
こうした要素は、
資料には現れません。
OKYを生まないために必要なこと
OKYという言葉が生まれる背景には、
「見ていない」「分かっていない」という
認識のズレがあります。
これを解消するために必要なのは、
- 本社が現地の現実を知ろうとする姿勢
- 現地が判断の前提を共有できる関係性
- 共通の判断軸としてのGRC
です。
特にGRCは、
本社と現地が同じ言葉で議論するための
重要な基盤になります。
正しさよりも、納得感が組織を動かす
経営の指示が、
論理的に正しいかどうかと、
現場が納得して動けるかどうかは、
必ずしも一致しません。
納得感は、
説明の巧拙よりも、
「理解しようとしているか」という姿勢から生まれます。
本社が現地に足を運び、
現実を見たうえで発する言葉は、
同じ内容であっても、
受け止められ方がまったく変わります。
OKYを笑い話で終わらせないために
OKYは、
海外事業に付きものの「あるある話」として
笑い話で終わらせることもできます。
しかし、
その裏側には、
組織の分断や疲弊の兆しが潜んでいます。
OKYが本気で語られるようになったとき、
それは経営が
何かを見落としているサインかもしれません。
おわりに(シリーズのまとめとして)
この連載では、
海外事業におけるさまざまな局面を取り上げてきました。
- 内部通報への向き合い方
- PMIという長い統合プロセス
- GRCという判断の背骨
- M&Aにおけるセカンドオピニオン
- 人を任せるという重い決断
そして最後に、
OKYという現場の言葉を通じて、
本社と現地の関係性を見つめ直しました。
海外経営において重要なのは、
完璧な制度や正解を用意することではありません。
現実を見に行き、
理解しようとし、
共通の軸で判断し続けること。
それができて初めて、
OKYは皮肉ではなく、
対話のきっかけに変わるのだと考えています。
海外子会社のガバナンスを考えるうえで、関連するテーマとして以下のコラムもあわせてご覧ください。
なぜ海外事業ではGRCが「管理」ではなく「経営の背骨」になるのか
【本稿について】
本稿は、筆者のこれまでのグローバル事業運営および経営支援の経験を踏まえ、
特定の企業・組織・時期を指すことのないよう、
事実関係を再構成・一般化したうえで記述しています。
実在の企業や個別事案を論評・評価する意図はありません。