鮫島コラム

60代男性の「喪失感」――私の胸の疼きは、あの日から始まった

私はかつて、会社員としてかなり忙しい日々を送っていました。

執行役員グローバル事業部長として、海外子会社・海外関連会社を含むグローバル事業の統括マネジメントを担っていました。

責任は重く、プレッシャーもストレスも相当なものでした。

妻によれば、当時の私は家に帰ると、よく「疲れた、疲れた」と愚痴をこぼしていたそうです。

それでも、仕事は面白かった。

海外事業、人事労務、法人営業、リスクマネジメント、情報セキュリティ――長年の会社員生活で身につけてきた知識や経験を総動員して仕事ができる。

難しい問題が起きれば、自分で考え、判断し、関係者を動かす。

大変でしたが、自分の能力をフルに使って仕事をしているという実感がありました。

そして、正直に書きます。

私は自分にかなり自信を持っていました。

「60歳になったが俺はまだまだやれる」

「社内を見渡しても、俺の代わりはそうはいないだろう」

そんな気持ちがありました。

今振り返れば、驕りもあったと思います。

執行役員になったのだから、次は上席執行役員かもしれない。ひょっとすると、その先には取締役への道だってあるかもしれない。

口には出しませんでしたが、そんな期待も心のどこかにありました。

「次は何かな」と思いながら、社長室のドアをノックした

2023年2月末のことです。

社長が役員を一人ずつ呼び、4月1日付の人事について説明する機会がありました。

私も呼ばれました。

「次は何かな」

少しワクワクしながら、社長室のドアをノックしたことを覚えています。

ところが、そこで告げられたのは、まったく予想していなかった人事でした。

「総務本部知的財産部シニアアドバイザー」

一瞬、何を言われたのか理解できませんでした。

知的財産の仕事は、それまでほとんど経験したことがありません。

これまで積み重ねてきた海外事業の経験も、マネジメント経験も、人事労務も、営業も、リスクマネジメントも、情報セキュリティも、ほとんど活かせない仕事でした。

奈落の底に突き落とされたような気持ちでした。

そして、その瞬間からです。

私の胸の疼きが始まったのは。

「自分はもう必要とされていないのか」

もちろん、頭では理解していました。

私は人事労務の仕事にも10年以上携わってきました。

組織には新陳代謝が必要です。

いつまでも同じ人間が同じポストに居続けるわけにはいきません。

若い世代にポストを渡さなければならない。

人件費の問題もある。

一定の年齢になったら役職から外すという仕組みにも、組織運営上の合理性があります。

特定の人だけを例外扱いすれば、公平性の問題も出てきます。

そんなことは、十分に分かっていました。

でも、分かっていることと、受け入れられることは別でした。

「なぜ自分なのか」

「自分の何がいけなかったのか」

「これまでやってきたことは何だったのか」

そんな思いが、何度も頭をよぎりました。

さらに私を苦しめたのは、後任の人事でした。

私の後任となったのは、それまで営業本部長を務めていた人物でした。

営業経験は豊富でも、海外事業の経験はありません。

それを知ったとき、私はこう感じてしまいました。

「では、私でなくてもよかったということなのか」

もちろん、会社には会社の判断があります。

後任者には、私にはない強みもあったでしょう。

今ならそう考えることもできます。

しかし、当時の私には無理でした。

長い会社員人生をかけて積み上げてきた経験も、知識も、実績も、自分の存在価値そのものも、すべて否定されたように感じました。

役職を失うとは、単に名刺から肩書が一つ消えることではない。

そのとき初めて、それを骨身にしみて理解しました。

会社の外に出れば、自分を評価してくれると思っていた

私は転職を考えました。

「この会社では必要とされなくても、自分の経験を必要としてくれる会社はあるだろう」

そう思っていました。

執行役員としてのマネジメント経験がある。

海外事業を統括してきた。

TOEICは920点。

人事労務、法人営業、リスクマネジメント、情報セキュリティ、グローバルビジネスと、幅広い仕事を経験してきた。

それなりの商品価値はあるだろう。

そう思っていました。

ところが、現実は厳しいものでした。

いくつかの転職あっせん会社にアプローチしましたが、ほとんど取り合ってもらえませんでした。

そのとき突きつけられた現実は、会社で評価されてきた自分と、会社の外の市場で評価される自分とは、まったく同じではないということでした。

「自分が何十年もかけて積み上げてきたものには、何の価値もないのか」

また胸が疼きました。

「それなら、自分で道をつくろう」

そんなとき、私は考えました。

自分はこれから何をしたいのか。

まだ働きたい。

まだ自分の能力を発揮したい。

そして何より、

経営に携わる仕事がしたい。

そこで、中小企業診断士という資格に挑戦することを決めました。

当時の私を突き動かしていたのは、決して立派な志だけではありません。

もっと生々しい感情でした。

「一発で合格して、自分を捨てた会社を見返してやる」

悔しかったのです。

だから勉強しました。

60歳での挑戦でした。

スタートが遅かったこともあり、予備校にも入れず、独学でした。

決して楽な試験ではありません。

それでも、会社員時代に身につけた財務、人事、営業、情報システム、経営管理などの知識や経験が、思いのほか役に立ちました。

「ああ、自分が会社員としてやってきたことは、無駄ではなかったんだ」

少しずつ、そう思えるようになりました。

「受かっても、受からなくても会社を辞める」

10月の2次試験を控えたある日、私は妻に言いました。

「俺、2次試験に受かっても受からなくても、会社を辞めるよ」

妻は、

「あなたが思うとおりにやって」

と背中を押してくれました。

早期退職の申し込みは12月末。

2次試験の合格発表は、その後でした。

つまり私は、合格する保証がないまま会社を辞めることを決めました。

背水の陣でした。

そして合格発表の日。

公式Webサイトに自分の受験番号を見つけた瞬間、何度もガッツポーズをして、

「よっしゃー!」

と叫びました。

60歳代の合格率は決して高くありません。

しかも独学でした。

あの瞬間の喜びは、今でも忘れません。

悔しさが、自分を前に押し出す力になったのだと思います。

私は、静かに会社を去った

翌年1月末の口述試験、2月から3月の実務補習を経て、私は中小企業診断士として新しい道を歩き始めることになりました。

会社には、中小企業診断士になることをまったく伝えませんでした。

有給休暇を消化し、最後に出社して、書類や備品を片付け、私物を持って会社を後にしました。

お世話になった方々には挨拶をしました。

でも、社長室には行きませんでした。

せめてもの意地でした。

今振り返れば、ずいぶん屈折していたと思います。

それほど悔しかったのです。

今でも、ほんの少しだけ残っている

現在、私は中小企業診断士として仕事をしています。

毎日忙しく、さまざまな企業や経営者と向き合っています。

自分の知識や経験を使って経営者と一緒に考え、課題を解決していく。

会社員時代とは違う種類のプレッシャーもありますが、大きなやりがいを感じています。

あのとき中小企業診断士に挑戦し、人生をピボットできて、本当によかったと思っています。

忙しく仕事をしているうちに、会社に対して抱えていた屈折した思いも、いつの間にかほとんど消えていきました。

ただ――。

正直に言えば、ほんの少しだけ、まだ残っています。

いつか経営コンサルタントとしてもっと大きな成果を上げて、

「あのとき私を外したのは、会社にとって少しもったいない判断だったかもしれませんね」

くらいは言ってみたい。

そんな気持ちが、心の片隅にないと言えば嘘になります。

人間は、それほど簡単に割り切れるものではないのでしょう。

これは、私だけの話なのだろうか

私は人事労務の仕事に10年以上携わってきました。

だからこそ、今になって考えることがあります。

人事に携わっていた頃の私は、役職定年を迎えた人たちの気持ちを、本当に理解していただろうか。

「制度だから仕方がない」

「若手にポストを譲るのは当然だ」

「これからは後進を支えてほしい」

そんな言葉で片づけてはいなかっただろうか。

役職定年、定年、再雇用、給与の低下、部下がいなくなること、決裁権を失うこと、重要な会議に呼ばれなくなること。

それまで当たり前だったものが、一つ、また一つと自分から離れていく。

周囲から見れば、単なる「人事制度上の変更」かもしれません。

しかし、本人にとってはそうではない。

役職を失う。
権限を失う。
収入を失う。
仲間との関係が変わる。
必要とされているという感覚を失う。
そして、未来への期待まで失っていく。

それらが重なったとき、人は何を感じるのでしょうか。

私は、それを「喪失感」と呼びたいと思います。

そして、この問題を単に、

「昔の肩書にしがみつくシニア男性」

「プライドが高くて扱いづらいベテラン社員」

という言葉で片づけてよいとは思いません。

企業側には企業側の事情があります。

シニア側にも、自分自身で変わらなければならない部分があります。

どちらか一方が悪いという話ではありません。

だからこそ、考えてみたいのです。

なぜ、60代男性は「喪失感」を抱えるのか。

そして、

どうすれば、もう一度前を向いて働き、生きることができるのか。

私自身の経験と、10年以上携わってきた人事労務の視点、そして現在の中小企業診断士としての視点から、この問題を何回かに分けて考えてみたいと思います。

あの胸の疼きを、単なる昔話で終わらせないために。

そして、同じような疼きを抱えている人が、今もどこかにいるのではないかと思うからです。

▶ 次回コラム

「60代男性は、いったい何を失うのか――『喪失感』が生まれる構造」

役職定年や定年によって失われるものは、肩書や収入だけではありません。

仕事、役割、承認、人間関係、居場所、そして自分自身への評価。

次回は、人事労務に携わってきた経験と中小企業診断士としての視点から、60代男性が抱える「喪失感」の構造を掘り下げてみたいと思います。